僕が観測している限りでは「アーティストに公平にコンテンツの売上が還元される」という触れ込みでNFTが流行し、バブルになっているのだと思っている。ACMの記事: Non-Fungible Tokens and the Future of Art でも
She[Leighanne Murray] says artists are expected to go to art school, then work their way up the ladder. If they are lucky, they get noticed after years by a mid-tier gallery. From there, they are totally dependent on gallery directors to exhibit and sell their work. Only a select few ever reach the pinnacle of the pyramid.
Even if they do, success comes at a price. Art galleries often take a 50% commission on each sale, she says. Many have exclusivity contracts.
と、大枚叩いて美術学校に通っても美術一本では食っていけない人が多く、仮に作品が美術館に飾られて購入されたとしても美術館に中抜きをされるという現状を例に挙げてその解決策としてNFTを提示している。
しかし、僕はどうしてもNFTが上で挙げられている諸問題を解決できるとは思えない。絵画だろうと音楽だろうと、NFTであることを価値とする以外に作者に今以上に多量で公平な利益を還元する方法はあまり思い浮かばないのである。
NFTにDRMはない
そもそも、NFTが果たす役目というのは、誰が作品を持っているかをはっきりさせることである。言い換えれば誰が本物を持っているのかをシステム上で管理し、ブロックチェーン上の改ざん耐性を利用して代替不可能性(Non-Fungibility)を実現しているのである。これまでも通常のWebサイト上で作品を購入するという行為は可能であったが、散々複製された後に、誰が実際に金を払って購入したのかを証明する方法はなく、そこの唯一性はNFTが登場するまで見出すことができなかった。
ただここで注意したいのは、NFTには複製を防ぐ仕組みはないということである。ライセンスで法的に縛ることはできるがそんなもので違法複製が止まれば警察はいらない訳で、インターネットにおける音楽や画像の複製問題とNFTは全くの無関係、即ちアーティストが著作権を守るためにNFTに作品を上げるとか、買った人にだけ見せたいコンテンツをNFTに上げるとかいう使い方はできないというのが現実なのである。
実際にNFTのブロックチェーン上に乗るのは作品のメタデータのみなので「NFTは作品を所有しているという証明書を販売するプラットフォーム」と言うこともできるが、その証明書が有効なのはそのP2Pネットワーク内だけであり、著作権も所有権も移らないので法的拘束力は1ミリたりともない。もっと言えば、IPFS上に乗せるなどしない限りそのNFTを提供しているWebサービスが閉じれば証明書も無くなるわけで、結局は信用で成り立ってしまっているビジネスなのだ。ブロックチェーンに生きていたゼロトラストの思想はここで既に死んでいるのである。
デジタルデータを所有することの価値
そもそもほとんどの人は、作品を見たり聴いたりしたいからお金を払っているのであって、別に所有したいからお金を払っている訳ではない。芸術で言えば美術館の入館料がまさにそれであろう。例えある作品のNFTが販売されたとしても、それが今まで通り複製可能で既にインターネット上で公開されている限り、ただ鑑賞したい人にとっては何の魅力もなく、結局NFTを購入するのはこれまでも美術館に行って実際に作品を購入する体験を楽しんできた従来の顧客しか残らないのである。それでも美術館に中抜きされないだけマシだという意見もあるが、NFTのプラットフォームも少なからず手数料は取る上、どう贔屓目に見てもインターネットでトークンを買うより実際に物理的に絵画を購入して家に飾り毎日うっとりと眺める体験の方が魅力的なのである。NFTと物理的な作品の販売を両方売ってしまうと「NFTの正統性とは」という問題が発生するのでそこの両立はできない。つまりNFT上に上げることで、特にアート作品は顧客が減少する可能性が高いのだ。
それでもなぜ今多くの人がNFTを購入しているのかといえば、それはただのバブルでNFTそのものに付加価値がついているからである。加えて今存在するNFTのほとんどは元々インターネット上に存在した歴史的なデータ(e.g.ジャックドーシーの初ツイート)やNFT登場後に制作されたデジタルアートであり、今まで苦しんできた芸術家たちの作品はメインのコンテンツではないのである。前者に至ってはデータの作成者が販売者でないことも多く、もう誰の何を買っているのか、正統性とは何なのかよく分からない状態である。
現状思いつくNFTの使い道
これまでで散々NFTをボロクソに言ってきた訳だが、上に述べた通り、誰が作品、言うなればそのトークンを所持しているかをはっきりさせるという点においては非常に優れた仕組みである。それを考えると、例えば宝くじの券をNFTで販売するというのは一つの良い例かもしれない。現状の宝くじは完全に物理的なので、喜び勇んで当たりくじを交換しに行く当選者を襲って券をパクるといったようなヤンキーなことができるのだが、一度NFT上で管理すれば、いくら当選者や管理者を脅そうともトークンを改竄することはできない。こういったような、NFTをチケットとして使うような方法であればNFTの良さが十分に発揮されるだろう。
おわりに
ブロックチェーンの改竄耐性をこういう形で利用するというのはすごく賢いかつ技術的に面白いのだが、ブロックチェーンやクリプトというバズワードに密接に関わるが故に過大評価され祭り上げられ、あわよくばWeb3の代表のような形で取り上げられた結果実際の守備範囲を超えた誤解が広まっているというのがNFTの現状であり、バブルの切ないところでもある。一度バブルが弾ければインフルエンサーたちが撤退し、ビジネス的な側面が薄れて「NFTはオワコン!」のフェーズを経て技術的に盛り上がるフェーズに入ると僕は信じている。今よりシステミックで頑健な複製防止の仕組みが作れればNFTと組み合わせて本質的に排他的なコンテンツ配信がインターネット上で可能になる。今日の過大評価の反動でバブル崩壊後に過小評価され、再び陽の目を浴びることなく自然消滅などということが起きないことを祈るばかりである。